アメリカでスモールビジネスが社会の主役になれる理由

スモールビジネスのシンポジウム

出所:TOEICテスト完全攻略リーディング10回模試解説付き(学研教育出版)

TOEICでは上記設問のように会合の予定変更などの問題も多くみられる。

さて、今回ここで話題になっているのは、スモールビジネスに関するシンポジウムについてである。このスモールビジネスというキーワードからアメリカ社会の起業・個人事業について紐解いてみたい。

皆さんの周りにはどのくらいの割合で会社にお勤めのかたと、自営で事業をされている方がおられるだろうか?

インターネットの普及、多様な働き方が推奨される今、昔に比べれば何らかのビジネスを自ら営むという方も少なくはないが、周りを見ればまだまだ会社勤めのかたは多いのではないだろうか?

日本でいう商店街の小さなショップ、個人経営の不動産屋やハンコ屋さん、車の修理屋さん、あるいは自分でウェブデザイナーの仕事を請け負ったりする個人事業主といったイメージの事業形態をアメリカでは総称してスモールビジネスと呼んでいる。

そしてアメリカなどでは市場内でこういったスモールビジネスが占める割合は日本に比べダントツに多いのだが、まだまだ日本では会社といえば大手企業のイメージを想像するのではないだろうか。

アメリカでは多くの個人事業主やいわゆるパパママショップの経営者がおり、上記の設問にあるように協会を組み(日本の商工会をもう少し幅広くしたようなイメージだろうか、ただし日本と違い大手は含まれない)健康保険などを団体加入したりと通常大手企業などが提供する労働環境に近いものをみんなで作り上げようと取り組まれている。そのためのノウハウをシェアしていく目的のシンポジウムも数多く開催されている。

このスモールビジネスはアメリカでは起業・独立の象徴とでもいおうか、米国の年間の会社設立起業率は日本のほぼ倍である。(開業率は2015年で5.2%、アメリカ9%、中小企業庁による)

こういった独立志向にはアメリカという国の成り立ちが大きく関係しているのではないだろうか?

かつてアメリカにはイギリスからの絶対王政を嫌い多くの移民がやってきて、アメリカ独立後もかつての盟主国の重税に対抗し輸入品である紅茶を海に投げ入れ入港を拒否したいわゆるボストン・ティーパーティ事件をはじめ、その後西へ西へと居を移していったアメリカ人の開拓、清教徒によるピルグリムファーザーズの精神などを振り返れば、西部劇の映画の情景でしばしば見かける鍛冶屋や馬具のお店、バーなど、そういった伝統的なスタイルとしてのスモールビジネスというスタイルが昔からあり、決して現在でも単なる大企業の対極としての小企業という位置づけではないようにみえる。

それゆえアメリカではこうした中小の企業が市場の中では潰されるどころか、むしろ保護されている向きもある。

州によっては大規模店舗法などにより、大型小売店の営業を週末は停止するよう強制している地域もあり、小さな商店主たちのビジネスが棄損されないように取り計らっている。こういった措置はわが国ではほぼ皆無ではないだろうか。むしろ大手の方が優遇されている向きも感じられる。

翻って日本における中小企業の在り方とはどうだろうか?

すべてがとはいわないが、多くの仕事を大手企業の下請けとして請け負ってゆき、大手企業と市場内で利害がぶつかる場合などは、資本力の大きさには勝てず泣く泣く店をたたむなどというケースも多く散見される。地方の商店街のシャッターストリートがその代表だろう。

大型店舗が地域にでき立ち行かなくなってしまう、弱肉強食の資本主義といえばそれまでだが、そこに共存が模索されるケースはまだまだ少ないのではないだろうか?

こんなエピソードがある。

筆者の友人はかつての会社勤めから独立をすると決意した際に同僚からは、コングラッチュレーションズ(おめでとう!)と祝福されたそうだ。

縛られた会社社会からの独立を祝うという皮肉的な見方もないわけではないだろうが、そこにはまた一つ企業や事業が誕生することで、消費者としての自分たちの社会により良いサービスが増えるという期待も込められ、ましてやそれを同僚が立ち上げるとなるとおめでたい事以外の何物でもないのだろう。

この場合、日本ではさしづめエールと心配を込めて「頑張ってください」、となるのではないだろうか?

スモールビジネスの市場が成り立つに理由の一つにはアメリカにおけるユーザー・買い手の多様さの違いもあるのだろう。

求める者が安さの価格競争だけではなく、多様なニーズがあるが故にニッチなビジネスが成り立ちやすく、結果として少数だが精鋭の技術が問われる事業も求められる。

たとえば車の修理一つとっても、大手の正規ディーラーの整備工場で部品交換、といった需要ばかりではなく、古いビンテージカーのカスタム化や旧車の生産終了パーツの再現、特殊塗装加工などが比較的日常の中でも行われており(もちろん車検などの法令もそれに合わせやり易いというのもあるが)、消費者の求めに応じて様々なサービスが比較的手ごろに提供されている。

こういった街中のスモールビジネスの在り方を比べてみることで、社会の多様性や奥深さを感じることができるのが面白い。

アメリカでマックやケンタッキーなどの現在では大手となっているフランチャイズのファスト・フード店に入ると、よく創業当時は個人経営だった一号店の写真などが飾ってあるのを見かけることがあった。

これは現在の経営陣も当時は小さな一パパママショップだったレストランがアイデア一つでここまでのし上がった、スモールビジネス魂のようなものを忘れないようにと戒めているように筆者には映った。大企業といえども、元々はスモールビジネスから始まったのである。

これは日本の企業でも同様だろう。しかし、し烈な市場獲得競争のなかで忘れられつつあるスモールビジネス魂、顧客と最も近かったあの頃の精神を忘れない、スモールビジネスの延長としての大企業を目指そうとしているように思えた。

そこにはアメリカ人の中にある、忘れてはいけないフロンティア・スピリッツが脈々と受け継がれているのであろう。そんな思いをこの問題文から感じてみては如何だろうか。