TOEICの問題を読むとその国の生活事情が垣間見れる設問も多々あるが、今回は上記の設問からアメリカ国内の健康と食事に関して考察してみたい。
国土の広さと塩分の意外な関係
上記の問題は当地で塩分過多の食生活を如何に抑制するかの対策方法について説明されているが、アメリカでは食生活が原因とみられる心臓疾患の死亡率が非常に高い傾向にあり、それに伴う医療費の高騰が社会問題化している。
そのため医学界やアメリカ保険省などが生活習慣病としての心臓疾患に歯止めをかけるために、1日の塩分摂取量の基準となるガイドラインを発行するなどして警鐘を鳴らしているのだ。
ここでいう塩分とは単なる「塩」ではなく、食品に含まれるいわゆるうまみ調味料をはじめとする化学調味料や添加物といった物からくる塩気も含まれている。
こういった塩分過多を予防するために様々な食品にLow Sodium(低塩分・減塩)と表記されるものが増えてはきているが、実際にはまだまだ多くの食品に塩分・添加物が使用されている。
旅行や留学で見かけたことがある人もいるかもしれないが、アメリカのスーパーには常温で長い間売り場で売られても腐らないドーナツや、様々な着色料で色付けされた清涼飲料水などが売られている。元来こういった商品は健康重視よりも保存重視になった結果と言えよう。
都市部では考えにくいが、大多数のアメリカを占める郊外や田舎の州では、スーパーに行くにも車でハイウェイを何十分も走るなどという事もざらである。それゆえ食料の買いだめという文化が根付いているのだ。
1週間分の食料を買い、生鮮品は冷凍保存するが、それ以外は保存がきく食品が歓迎される。
コストパフォーマンスをあげる塩分とその功罪
天然ではあっても大量の塩分で塩漬けされたコーンビーフや、保存料を入れた加工食品など、常温で幾日も置けるようなものは、冷蔵庫の電気代、スーパーまでのガソリン代一つとっても家計の助けになるというものだ。そこに加えて味も整っていればこれにこしたことはない。
必然的に塩分、保存料・添加物を多く含む食品がスーパーの棚に並ぶというわけである。
田舎だけでなく、都市部でも貧困層にとってはこういった食品が健康を度外視して家計の助けとなっているのは言うまでもない(貧困層にはフードスタンプと言われる政府発行の食品と交換できる生活補助が与えられるが、財源は税金のため嗜好品とは交換ができず必然的に安価なこういった商品としか交換できないといった事情もある)。
そういった利便性と価格が相まって、消費者側もそれを求めるが故に、こういった生活習慣病の疾患予備軍が減らないという構図が生まれている。
余談だが、それらの味に慣らされた消費者が味の濃いものを求めるあまり、1960年代アメリカ全土で、中華レストランで食事をした人々が原因不明の頭痛や発汗、顔の紅潮に悩まされるという事例を発症して大きな社会問題となった。
後の調査でそれは料理に大量に加えられた上記設問にも登場するMSG(=グルタミン酸ナトリウム)が原因と指摘され、チャイニーズレストラン・シンドロームと呼ばれた。
日本でも過去にはアメリカ製品の輸入を大量に解禁するにあたり、向こうの添加物や、主に柑橘類にふりかけられたポストハーベスト剤(収穫後の防腐剤)の使用が考慮され輸入に二の足を踏んでいたという歴史もある。
こういった時代を経て、最近ではアメリカ大都市を中心に多く現れてきた、ホールフーズやトレーダージョーといったオーガニック・スーパーマーケットなどの健康志向につながってゆく潮流となった。厳選素材で、加工工程で極力人工物や塩分を抑え上記の問題中のような表記ラベルが貼られた食料が多く並べられている。
近年の日本食ブームも、素材の持ち味を活かす、といったコンセプトが評価され人気となっているのもまったくの偶然ではなく、こういった健康ブームと密接に関係しているのだ。
日本の食品は本当に健全なのか?
翻ってわが国ではどうだろうか?
アメリカ人のようにあからさまに太った人は見かけないし、その日本食を食べているので少なくともアメリカよりは健康かというと事情はそう簡単ではない。
多くのコンビニが立ち並ぶわが国でも多分に漏れず、塩分、そして添加物過多の食品は日常的に売られている。
むしろ無添加の商品をさがすほうが大変なくらいである。
これはやはり製造、流通側の保存、販売コストの事情もあるが、根底にあるのは消費者側の安くて、味が濃くおいしく、且つ便利といったニーズに応えているという部分が多分にあり、中にはアメリカではすでに使用禁止になっている着色料などが平然と使用されている製品も国内では売られているという。
我々買う側もこういったことに意識を傾け、自身の健康も第一であるが、回りまわって社会が抱える問題となり最終的には自分に跳ね返ってくるということを知る必要があるだろう。
今回のテーマは少々重苦しい話となったが、こんなことに考えを巡らせるきっかけとして、TOEICの問題を読み解くのもまた一興ではないだろうか?